睡蓮とメダカのお話し の巻

 先週あたりから、我が家の睡蓮が咲き始めました。


 昨年育て始めて(昨年の記事)これで2年目になりますが、ろくに肥料をやってないにも関わらず、今年もきちんと花をつけてくれました。あんたすごいよ…。


 ああ、儚い睡蓮。何週間もかけて水の中で蕾を少しずつ膨らませながら水面を越えて、ようやく見事に咲いても、空を眺められるのはわずか3日ほどです。
 花を開く力を失って再び蕾になっていよいよ水の中に沈む頃、それを横目に見ながら新しい蕾が空を目指します。
 
 それを繰り返し、昨年は6~7回花が咲きました。今年は何回咲いてくれるやら。なにぶん肥料もやってないので、まぁ、あれですが。

 ちなみに睡蓮は、朝開いて夜は閉じてしまいます。そのため「睡」蓮と言うそうです。

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蓮は水面からも茎が伸びますが、睡蓮は水面で花が開きます。


 ただ、このように屋外に水が貯めてあると、これからの季節、蚊が繁殖します(わずか数mm程度の水溜まりでも生まれるそうなので注意)。なので、睡蓮鉢の中にもボウフラを食べてくれるメダカを入れてあります。この30cm程度の鉢で10匹ぐらい入っております。

 鉢の中のメダカを、ボーーーーーーッと眺めているのが好きです。


 
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食べ物を粗末にしない、と言う基本的なこと の巻

「昔は芋のツルも、湯がいて食べていた」とか「白米なんて盆か正月ぐらいのもんで、普段は麦が多いご飯だった」とか、戦時中を経験した方はおっしゃいます。

 そんな世の中から、たったの70年ほどしか経っていないのに、今問題になっているのが「食品ロス」だと言う現状があります。農水省によると、毎年632万トンの「食べられるもの」が捨てられているそうで、なんと一日に換算すると一人お茶碗一杯を捨てている計算だそうです(ソース)。

 そんな中、私がとても気になるのは”賞味期限”と言う存在です。
 あれ、厳しすぎではないでしょうか。

 年月日、場合によっては時刻まで明示する必要が、本当にあるのかなと疑問です。
 製造年月日だけ書いて、あとは消費者が判断すればいいのではないかと思うのです。

 賞味期限があるせいで、それを過ぎた物は販売できず、すべて破棄されてしまいます。

 スーパーなどでも、少しでも期限が先のものを選ぼうと、手のリーチの及ぶ限界に挑戦して棚の奥の商品をとってみえる方がみえますが、果たして、たかだか数日”新しい”事が重要なのでしょうか。

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 よほどの事情がない限り、手前の日付の迫ったものから買っていくのも、食品ロスへの貢献ではないかと思います。割引シールが付いていたら迷わず選ぶのだから、結局”新しさ”なんて大したこだわりではないはず…。
 
 食品が傷むのは早い時期なので、これからの季節は食中毒には充分注意しないといけないのは確かですが、それとこれとはまったく次元の違う話かと思い、書かせていただきました。
 
 戦後におかしくなった事はたくさんありますが、自然の恵みや食にたいする敬意も、そのひとつのような気がします。







 

お天道様の下は歩けねぇ の巻

 最近ネットを見ていて、とある記事が目についたので注意喚起の意味でご紹介いたしたいと思います。

 一般的に病院やクリニックでも処方される「モーラステープ」の副作用に関してです。

 この湿布を貼った場所に”紫外線”を浴びる事により、「光線過敏症」と言う症状を発症する方がみえるようです。
 当然ながら太陽光にあてても症状が出るわけで、稀ではあるものの発赤や腫脹が出現し、ひどい状態になってしまう事もあるようです。


こちらは、たまたま家にあった「モーラスパップXR120mg」

裏を見ると……
↓ ↓ ↓
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確かに、書いてあります。

 しかも、さらに読むと、はがしてから4週間程度、同様に紫外線にあたらないようにしないといけないとの事なのです。
 これから紫外線がきつくなる時期ですので、「しょっちゅう貼ってるわ」と言う方は、少しご注意くださいませ。
 

憲法記念日に思う の巻

本日は、憲法記念日。

1947年(昭和22年)に『日本国憲法』が施行されたのを記念した祝日です。

ただ、少し歴史を学べばわかることですが、日本がサンフランシスコ講和条約によって主権を回復したのは1952年(昭和27年)
つまり、憲法は、占領下で作らされたものです。
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日本人が苦難の経験から考え産み出したものではなく、先勝国が、二度と白人に歯向かわないように日本を弱体化させるために都合の良い内容を押し付けただけのもの。

これを経典のごとく崇める方が一部にみえますが、

本気で日本の平和を護るためには、そろそろ自分達で憲法を創る覚悟を持つべきではと、私は思います。

 

疑わしきは…? の巻

ある日突然、誰かから「俺の金を盗んだだろう!」と言われた場合、さて、どう言いますか。

「…??盗ってないですけど。」
すると、この人はこう言ってきます。
「盗ってないと言うなら、盗ってない証拠を出せ!」

「盗ってないものは盗ってない。そもそも、金を盗む必要もない。」
すると、一層すごい剣幕になってこの人は言います。
「実に怪しい。説明が不十分だ。盗ったに違いない。疑惑は深まった!」
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「……はぁ。」
「お金欲しい、と書いた、お前の関係者のメモ書きを見たと言う奴がいる」
ここまでくると伝聞に過ぎず、仮にメモがあったとて何が問題かと言うレベル。

「そもそも、盗らなかったから悪くないと言う問題ではない!」
挙げ句は、支離滅裂な論点ズラし。

ある決まった結論へ導くだけが主目的になり、憶測だけで話が進み、印象だけで悪人と決めつけ、自分に都合の悪い証言は一切聞かない。

私は、「人を疑う」事はとても責任の重いことだと思います。
疑う以上は、疑うだけの証拠を揃える責任が、”疑った側に”あります。そして、それが提示できないのなら、潔く過失を認めて謝罪せねばならないと思います。

全く違法性のない事を、雰囲気で悪にするような恣意的な昨今の報道は常軌を逸しているように思えますが、私だけでしょうか。