こんな本読みました の巻 その弐拾

 当たり前だと思って見過ごしていた事に、ふと何かのきっかけでそこに焦点を当ててみると、存外知らなかった事の多さに気づきます。「知らないで死ぬより、知って死んだ方がいい」と、死を待つ獄中でも学び続けた吉田松陰。そんな境地に一歩でも近づきたいものです。

 今回は、日常的に接している「単位」に関する本を読みました。

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『新しい1キログラムの測り方』
臼田孝・著
2018 講談社

タイトルを見て息子が一言「1kgなんて、測るの簡単やん。」と。
「どうやって?」と聞くと、「秤で測ればいいやん。」と。ほほう。
「それなら、そもそもその秤を作る時に何を基準に1kgを決めたんやろ。」と聞くと、「うーん。わからん。」と。

 そうなんです、1kgって何をもって1kgを決めているか、実は、案外知らないのです。
 いや、まぁ、ご存知ならすみません。 

 ”世界の某所に、ピッタリ1kgの基準の金属の塊があって厳重に保管されていて、それを元に各国が1kgの基準を合わせている。”…と言う冗談のような話が、実は正解だったりします。意外に非近代的。

 ところが、その1kgの塊(原器と言う)、わずかな摩耗も起こさないように三重に鍵まで付けて大切に保管されていたにも関わらず、百数十年経過するうちになんと5ng(ナノグラム)も変化してしまったのです。ちなみに5ngとは、1億分の5g(指紋1個の重さ)。
 ごくごくわずかな差でもズレてきたら世界中の基準がずれる事になってしまい、大変なのです。

 そこで、絶対的な1kgの基準を作ろうではないかと奮闘する世界中の賢い人たちの奮闘の物語が、この本には書かれています。そして、「プランク定数」「アボガドロ数」と言う値が極めて高い精度で求められたことにより、ついに来年から1kgをより正確に規定する事となったのです。

 また、質量以外の単位に関しても、いかに正確にそれを表現するか、同様に奮闘したこれまでの歴史も知ることができます。文明とは、正確に”はかる”ことから生まれるのだ、と思いました。


 
 
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こんな本読みました の巻 その拾玖

 毎度、本屋をぶらぶらして気になった本を探すのですが、今回もいつものごとく気になったタイトルの本を衝動買いしてしまいました。
 
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『欧米人とはこんなに違った 日本人の「体質」』
奥田昌子・著
2016 講談社

 普段、職業柄、健康に関するアドバイスなどをしたりする機会が多いわけですが、その”情報”は常に更新していかないといけないと常々思います。

 今回ご紹介するのは、そもそも欧米人と日本人では遺伝子レベルでも多くの違いがあるのに、「欧米で受け入れられている」と言う理由で盲目的に「正しい」と思ってはいけないという警鐘の本です。

 さて、一応一通り読んで見ましたが…、単刀直入に申し上げてちょっとイマイチでした。

 この本が大筋として言いたいことは間違ってないように思いますし、それぞれの食の歴史や文化に応じた比較研究を行わないといけない事は理解できます。
 それでもまぁ、そうは言っても、この本の内容は細かな面でいくつも疑問がありました。引用元の研究やデータは正確でも、それらをつなぎ合わせて導き出された結論がどう考えてもおかしいものがあるのです。
 せいぜい「ホンマでっか」レベルの内容な気がします。
 もちろん参考にはなりますし、冷静に考えながら読む練習にはなるように思いました。

 テレビでも本でもネットでも、そこにある情報の信憑性に対して、必ず懐疑的な自分も傍らに置いておかねばならないと感じています(特に昨今のテレビは酷いので)。
 
 

こんな本読みました の巻 その拾七

 今回は、「時計」に関する本をご紹介したいと思います。何気なく部屋にかかっている時計。一度、時計と目を合わせてみてください。彼らは黙々と時を刻んでいます。
 しかし、不思議ではないでしょうか。時刻は、いったいどうやって生まれているのでしょうか。「神のつくったもの」であった「時」を、人が手に入れるまでの先人たちの努力が詰まった一冊です。

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『時計の科学 人と時間の5000年の歴史』
織田一朗・著
2017 講談社

 日時計、水時計、砂時計といった古来の時計が生まれたころから、驚くべきことに、人類は「地平線から太陽が見え始めて完全に姿を現すまでの時間(約2分)を720倍すると1日である」事を知っていたのです。あまたの単位の中で、時計だけが12進法なのも、自然から生み出した理由があるのです。

 本書では、5000年に及ぶ時計の歴史を繙いて、現代、そしてこれからの展望にも筆が及んでいます。あたりまえの”1秒”が絶対のものではなく、これすら変化しているという話はとても面白いです。
 現在の電波時計の精度は「3000万年に1秒以内の誤差」だそうですが(※)、今後目指している光格子時計の精度は、なんとなんと「3000億年に1秒の誤差」だそうです。
 正確な時刻を手に入れる事が出来たことで、相対性理論による主観的な時間の差も、測定できるようになってきたとの事(10の-18乗秒レベルの精度が必要だそうです)。 

※訂正:高精度なセシウム原子時計は「3000万年に1秒以内の誤差」ですが、現在運用されている電波時計の制度は「30万年に1秒以内の誤差」でした。えらい違いでした。訂正いたします。

 時間とは何か。時計という切り口でこれを考えるのに、とても面白い一冊でした。
 ちなみに、本の表紙の時計は、かのマリー・アントワネットが贅の限りを尽くして作らせた時計、その名も「マリー・アントワネット」で、価格にしたら3億は下らないそうです…。

 

こんな本読みました の巻 その拾六

 私は、本屋に行くのが好きです。実際にページをめくってみないとその本の持つ味がわからない気がするので、できればAmaさんや楽さんではなく、本屋で買うのが理想です。

 今回ご紹介するのは、「江戸」に関する本です。 著者は「明治維新という過ち」で知られる原田伊織氏です。

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『日本人が知らされてこなかった「江戸」』
原田伊織・著
2018 SB出版

 「明治維新」に関して学校で習って漠然と知っている知識は、「尊王攘夷」を掲げる維新志士が、ついに討幕を果たし、新政府を設立したと言う一連の改革だろうと思います。

 ただ、歴史と言うのは勝ったものによって”作られる”のは世の常で、明治を築いた薩摩・長州の”偉人たち”が、日本の西洋化・近代化を正当化するにあたって、「江戸」と言う時代がいかに野蛮で未開で非合理であったかを刷り込んで言った結果が、現在の教育だと言うのです。
 ”江戸時代は支配者たる武士が、庶民から搾取する時代”である様な一般的な時代劇のイメージも、史実とは全く異なるようです。

 江戸時代は、想像以上に効率的文明的で、かつ「持続可能な(サスティナブル)社会」であり、現代人こそ見習うべき点が大きいのだということを、改めて感じました。
 また、非常に感銘を受けたのは、よく言われる”自然との共生”という言葉こそ、自然と人間を同等に見た極めて傲慢な考え方であると言う指摘です。
 江戸時代の日本人は、自然とは抗えないもので、人間も自然の一部であると言う価値観の下で、災害に畏れながらも自然の恵みを尊重し、生きてきたと言います。
 
 物質的な事を求め続け、そして行き詰っている現代人こそ、江戸時代の先輩の生き方に学ぶところがあるのでは。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の、「日本が西洋化して合理的な生き方まで身に着けた時、日本人は”日本人によく似た西洋人”になってしまうだろう」と言う指摘をもう一度、思い出さねばならないように感じます。

 

こんな本読みました の巻 その拾伍

 久々に、読んだ本のご紹介です。

 本は毎月せいぜい3~4冊とは言え一応読むのですが、巷間で話題の本!とか、○○賞受賞!とか書いてある本は一切読む気がないと言うひねくれ者なので、ここに書けるような本がないのです。

 さて、久々に書くのは、こちらです!
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『動的平衡 生命はなぜそこに宿るのか』
福岡伸一・著
2017 小学館新書

 「生命とは何か」などと仰々しく見出しがありますが、決して難しくないように書かれているので、読んでいて「へぇ」「なるほど」がたくさんあります。

 生命とは何か。37兆個の細胞でできているに過ぎない人間は、決して部品が組み合わさなったプラモデルではない。では、命はどこにあるのか。これは以前読んだ哲学的な本ともリンクする命題です。哲学と科学が、同じことを突き詰めているのは面白いです。

 命とは、エントロピー増大と言う自明の流れに逆らいながら、新陳代謝を繰り返す事によって平衡を保つ営みそのもの。命とは、流れそのもの。ちょっとした感動すら覚える内容でした。

 蛇足ですが、食物の代謝に関する話のこぼれ話で、コラーゲンは完全に分解されて吸収されるので、コラーゲンとして肌やら関節やらに届くことはありえない、とありました。
 健康食品ってのは一体何なのでしょうね。また、コラーゲンは肌に塗っても届きません。
 
 秋の夜長に、ぜひとも読んでいただきたい一冊です。